読書について

昔から本が好きで地元の図書館が新しくなった事で通い詰めていた

通い詰めたおかげで読んだ本の数も増えていった

最初は疑問もなかったが自分で購入した本を含め何百冊と本を読む頃になると

「本を読む行為は受動的で賢くなった気がするが引用くんになってるだけ」

過剰な読書は意味がないと思うようになりそれ以降は本を読む回数を減らした

ネットでの評判がいいからって銃病原菌鉄なんて読んでいたが

内容に間違ってる部分があっても名著なのかもしれないけど僕が読んでも仕方ないなと

本を書いてる人間は専門家でありジャンル横断のデタラメな本の読み方なんてしないはず

知識自慢のための知識じゃなく興味のある事を掘り下げるだろう

ジャンルを絞って本を読んでるかそもそも本をここまで読まないのでは?と

本を読む行為よりは本を書く行為の方が知的で生産的な行為

学者系の偉人の中には本を読む人も多いようだが自分は学者ではないから関係ない

「なんのために本を読むか」という目的がないと読書に意味なんてないんだ

本を書いた人も沢山の本を読むのではなく自身の濃い経験の中から書いてるはず

「他人の経験をまとめたものが本で愚者は他人の経験や歴史から学ばない」

そう言わるだろうし確かにそうかもしれないが自分の経験を置き去りにしていいの?

本を読むだけで満足してる人が多すぎるんじゃないの?と思った

ネットでは読書万能論が蔓延っているが具体的に何を読んだかについても語られない

ただ世間の価値観にそのまま乗っかり本を読む受動的な行為が尊い行為だと思ってる

愚痴っぽいブログになってしまうからこの辺で悪口はやめるが

自己啓発系は同じようなのばかりで単純につまらないから読まなかった

読書=文化資本の蓄積というのは安易な発想だと思う

文化的資本という言葉もあるが読んだ本の数ではなく蓄積された文化資本であり

乱読するだけの読書引用くんが文化資本を本当に持ってる訳でもないし

色んなジャンルの入門書ばかり買って入門ばかりしてる人はどうかと思う

入門書ばかり買って入門してる人より些細な事でも掘り下げて考える人の方が知的

だが幅広い知識を身に着けるのも悪い事ばかりではないし思考の助けにもなる

だが何冊も何冊も読んでも時間だけが浪費されるので必要な分を読めばいい

自分の場合は無学で政治について何も知らないなと思った時に

政治についての色々な本があってどれを買っていいか分からない時に

世間的にいいかは分からないがNew Liberal Arts Selectionの政治学の本を買った

「教養を身に着けるには教科書を読む事が一番良い」

そういう答えに行き付き入門ばかりする入門くんの誕生となった

だがその教科書も色々ある訳で有限の時間でどこまで拾えばいいのか…

時間も金も体力も無尽蔵じゃないという当たり前の事実がある

知的活動を尊ぶ人の中にはそれでも価値があるという人もいるかもしれないが

読書が至上という人でないのならばより良い物のために時間を使えばいい

人によっては読書より彼女とデートしたりゲームをしてる方が幸せになれる

「何をしたいか自分は何が好きなのか何をすると幸せなのか」

これを知る事の方が読書よりずっと有意義だろう

教養とかいう得体の知れない物を求めると蟻地獄にハマりそう

その考えに至る事で読書家だった僕は無駄に読書をするという行為をやめた

過剰な読書が人生を豊かにするという考えは間違ってると思う

でも本を〇〇冊読んだ~とかいうタイトルが人気になるんだよな

本を読んだ数自慢は忙しくて寝てない自慢と変わらんのに

10冊本を読むより1冊深く何度も繰り返し考えて本を読んだ方が絶対にいい

ただ享受するより検証する方が得られる物が多いだろう